ODAの話

外務省: ODA・情けは他人のためならず

 ひとつ例を挙げましょう。先日私は、インドとパキスタンを訪問しました。インドの首都デリーでは、日本のODAで地下鉄を建設中です。既に一部は開通しており、これがインドの人たちに非常に感謝されている。

 便利になったということもあります。しかしそれ以上にインドの人たちが強調するのは、この地下鉄建設に関わった日本人達が、日本の勤勉な労働姿勢を首都のど真ん中で見せてくれたことだと言います。安全ルールを遵守しながら工期を守るその責任感。そしてただやりっ放しにせずその後もずっと協力しようとして汗を流しているその姿勢。

 これらが理由となって、インドはそれまで外国から援助を受け入れることに幾分慎重だったのが、日本からはぜひ援助を受けたい、そう言うようになったのです。

日本でこういう話が周知されないで、ODAに対するなんとなしの悪評が広まっていくのが問題だよな。あと、こういう話が現地でどれだけ伝えられてるのかも知りたいところ。スマトラ沖地震の時にモルディブ辺りの首都が日本の援助で作った防波堤のおかげで助かったっていう話もあったけど、続報がなかったからガセネタだったのかと疑っている俺ガイル。年次報告書出しても興味ある人しか読まないだろうし、マスコミがちゃんと伝えてくれるか甚だ疑問だし。自分達で、どういう事業をどれくらいのお金でやってこれこれの結果が出てますって事を精確に伝えられるように広報を強化すべきだと思うよ。

 このような意味で、ODAとは立派な日本文化の輸出であります。だから私は言うのです。小切手外交、大いに結構。日本にカネがある今のうち、どしどし小切手を切ろうではないか。なぜなら日本の小切手には、日本人の汗が一緒についていく。働いて、自らの運命を我がものにすべしという、力強い励ましが、セットになってついていく。即ち日本独自の労働思想というものを、売り込む手段であるからです。

 ODAに何の意味があると疑いをもたれる方に私として言うとすれば、そのようなことです。長い算盤を弾いています。日本の価値というものを、広める大事な手段です。

まあ、あまり無思慮に小切手切られても困るわけだけど、言わんとするところは頷ける。慈善事業じゃないんだから、とりあえず、一つ一つの案件に対するチェックを強化してもらってからだね。スマトラの時なんかは結構気を遣ってたみたいだけど、今まではザルだったっぽいから。

 冒頭に申しましたとおり、ODAの持つ高度な戦略性に鑑みて、総理の強い指導力の下、日本が対処すべき最も大事な国際課題のためODAをどう活用すべきか、大局的見地に立って議論する集まりが欲しいところです。外交手段であるODAについては、その第一次的な調整は外務大臣が行うべきでしょうが、総理と何人かの閣僚が、幅広い観点からODAのあり方を直接相対して議論する。それは役人の間で紙を回して稟議していくやり方とは違います。そういう場で、私は大いに汗をかきたいと思います。また、場合に応じ、資金協力や技術協力のプロ、あるいは民間の識者に入っていただく。

 ことは次に、具体的な政策の企画立案の段階に移るわけですが、ここでは外務省に戦後営々と培ってきた組織と人の知識、経験のプールがあります。これを使わないという手はありません。もし使わないとしたら、あまりに資源の浪費になり、二重投資になってしまいます。それこそ小さな政府をという、時代の求めにもそぐわない。

外務省に戦後営々と培ってきた組織と人の知識、経験のプール」ってのがチャイナスクールだったらズッコケルけど、最近の流れならそれはなさそう。まあ皆さん頭いい筈の人たちなんだろうから、しっかりやってくれよって感じ。援助の案件がないのに無駄にばら撒くってのだけは勘弁願いたい。

 最後にもう一度、援助の現場の話をしましょう。

 昭和62年ごろだったか、自民党で青年局長をしていたとき、各県の青年部から有志を募って、年に一度、必ず外遊をしようと旗を振った。それで何回かやったことがあります。但し、行く先は、青年海外協力隊が働いている国に限る。蛇口を捻るとお湯が出るホテルでないと嫌だという人は、お断り、という旅行です。

 行ってみると彼ら協力隊の若者は、実に屈託なく働いている。幸せそうで、ちょっと拍子抜けするくらいです。颯爽とした彼らに、私はいつも頭が下がる思いがした。苦労を苦労と思わない、働くことを善とする美しい日本人を、何人も見た気がしたものです。

 そんな彼らが、お土産に何をいちばん欲しがったと思われますか。漫画、です。これは私には、願ったりでして。自分が漫画ファンだから、なんのことはない。自分が読もうとしこたまカバンに詰めて持っていったのを、そのまま差し上げてきたというわけです。これが喜ばれたのなんの。

素晴らしいオチでつね。麻生さんGJ