ありがとう201-encore-

ついにきたラストランの日。天気は薄曇り。この所のどうにも冴えない天気を象徴するようで苦笑いしてしまった。最初にどこで撮るか、ダイヤ情報と時刻表を突き合わせて散々悩んだ結果、13分と長めの停止時間が設定されている相模湖駅で出迎えることに決めた。撮影という点では駅と駅の間を走っている姿が一番だけど、それよりも近くで眺められる方を優先した。
8時少し前に到着した豊田駅では、ホームはまだそれほどではなかったものの、駅の外に記念グッズ売り場の行列が並び始めているのが見えた。豊田車両センターに停まっているはずの姿が見えないか窓に張り付いたものの見えず。有名撮影地のS字カーブは既にこれ以上人が来ても撮れそうにない状態で、すぐ後の鉄橋にも警備員の姿が見えた。高尾駅豊田駅側先端には撮影者たちの姿が。

相模湖

相模湖駅に到着するとやはり既に先客が多数いたものの、何とか撮影できそうな場所を確保して待機。前の人が身を乗り出したらアウトかなぁと思っていたら、到着30分ほど前になって点字ブロックの延長線上に規制線が。おかげで撮りやすくなった。警戒に当たってる警官の腕章に神奈川県警と書いてるのを見て、そういえばここは神奈川だったのかと気づいた。
そしてほぼ定刻通り10時38分にラストランの幕を付けた201系が入線。

14日の定期運用離脱以来3日ぶりに目にする最後のオレンジはやはり鮮烈だった。
列車がホームに滑り込むと、待っていた人と中から溢れた乗客で軽い通勤ラッシュ状態に。

一端退避して改札付近へ。

そして再び人込みに突入して先頭側を撮影。

運転席には出発地の豊田駅で受け取ったのか花束が飾られていた。ホームのすぐ外の跨線橋にも多くの人が並んでいて、重みで落ちないか心配になるほどだった。出発するところを後ろから撮るべく、再び最後尾側へ。
子どもたちにとっても忘れられない日になるんでしょう。何度か目にしたであろう困ったちゃんの真似はせずに大きくなって欲しい。

ラストランに乗り込んだ人たちが窓に思い思いの張り紙をしていた。「ホリデー快速ドナドナ号」…悲しいけど良いセンスだ。

最後尾側に回ると201系の5分後に出発するはずのE233が一足早く入線してきた。

最後まで空気を読まないんだなぁ…と反射的に思いつつも、この並びを見るのも今日が最後なのだなと思うと、また一つ違う感慨があった。隣のホームに移動する間もなく201系が相模湖を発ち、ついでE233も出発した。

甲府

ここまで来たら金をけちってる場合じゃないので、大月駅から特急かいじに乗って追跡。同じことを考える人は多かったようで、自由席車内は一種異様な空気が漂っていた。通過駅にも先ほど通り過ぎた出あろう201系を撮影したのか、カメラを持った人が多くみられた。勝沼ぶどう郷駅付近では甲府盆地雄大な景色が眺められるはずが、薄曇りでちょっと寂しいことに。これが最後だというのに。
塩山駅で停車している201系を追い越し。隣の線路に停まっている車内を撮ると、通常の運転時のように広告が掲示されたままだった。

まだまだ現役なのに…と考えるうちに甲府駅到着。ここにもまたひと際多くの人が待ち構えていた。
そして甲府駅前のカーブを大きく巻きながら入線してくる。

ホームで待つ人も乗客も大きく身を乗り出していた。我知らず自分もこうなっていたんだろうね。
甲府では入線するホームで待っていたので、最後にじかに触れることが出来た。
そのまま出発するまでじっとしていたかったけど、この後の行程を考えるとあまりのんびりもしていられなかったので、すぐに隣のホームに移動。そこから1枚。

そして出発。

ホームに停まる姿を見るのはこれが最後となった。

松本

甲府駅を出ると相変わらず各駅で待っている人がいたものの、田畑やどうやって分け入ったのかと言うような山中にまでカメラを構えた人の姿が多く見られるようになった。自分もそこに混ざりたい衝動にかられたけど、残念ながら体は一つだけなので前へ。
そしていつもの各駅停車とは比べるべくもないスピードで松本駅到着。ホームの内外に201系のグッズ売り場が設置されていた。

とりあえず覗いてみるだけのつもりが、気づいたら色々と買いこんでしまっていた。にしても下敷き3枚セットとか買ってどうするかな自分。再びホームに戻ると、数多くの人が最後のお出迎えのために待っていた。その空気に触れると自分もここで待っていたい気持ちになったものの、あらかじめ決めていた場所へ移動開始。すると…

3分差でホームに入ってくる201系の姿が見えた。もしかしたらと期待しつつも、無理だろうなと諦めていただけに嬉しかった。何にかは分からないけど、感謝した。

姨捨

松本駅を出るとそれまで薄雲に覆われていた空が急に晴れてきた。長いトンネルを抜けて西条〜冠着近辺を走っている時は、強さを増す西日を浴びて輝くススキが風になびいて。とても穏やかで優しい黄金の風景が広がっていた。「そのもの橙の鋼をまといて金色の野を駆け抜けるべし」という伝承があるとか無いとか。思わず飛び降りてその付近で待ち構えたくなったけど、グッとこらえて下車したのは姨捨。ここ2,3年で電車に乗って全国を周った中で一番気に入って何度か通った場所。そこを201系のオレンジ色が通るのも何かの縁かもしれない。そう思うと、いつもISSや鉄道等を撮影する前に襲ってくる失敗の不安が微塵も感じられなかった。念のために別アングルで設置していたビデオは時間を読み違えて何も写っていなかったけど、それに関しても不思議と後悔は無い。
善光寺平をバックに山から平地へとオレンジ色の201系が駆け下りていく。

一瞬を永遠に。

おそらくもう2度と見られないのであろう、線路の上を走るその姿を最後まで目に焼き付けた。

長野

最後まで見届けるべく、姨捨に戻りほどなくしてやってきた各停で長野へ。ここからタクシーで移動しようか迷ったけど、既に予算オーバー気味だったので大人しく列車を待つことに。その間に今日初めてとなる食事を済ませた。ここまでろくに飲み食いせずに空腹を感じなかったというのも、2度も3度も続くと不思議でもなんでもないわね。
北長野へ向かう途中の車内から、長野総合車両センターに停まる201系の姿が。

電気が入っていたせいで、いつ動き出してもおかしくないように見えたな。
北長野で降りて空を見ると月と木星が。西には黄昏のグラデーションが残り、先ほど長野からタクシーで来なかった自分を呪いたくなるような美しさ。早足で移動し、黄昏の最後の数瞬に車両センターを見渡せる橋に到着した。

ここもまた多くの人が集まって最後となる姿を写真に収めていた。たまに通りかかる人から何かあったんですかと聞かれ、201系のラストランが…と説明するたびに不思議な心持ちがしたな。ラストランだって?まだまだ走れるじゃないか。

ここから撮れるだけの写真を撮った後も、もうこのオレンジ色を見ることは無いのだと思うとどうにも去り難く、ただただボーっと眺めていた。ふと、陽の落ち切った空を見上げると中天に夏の大三角形が。変わるものと変わらないもの。明瞭な形を持たない思考が浮かんでは消えていく。そうこうするうち、東京に戻る時間が迫ってきたので後ろ髪をひかれながらもその場を後にした。そして長野へ戻る途中、車窓から目にしたその姿がおそらく最後になるのだろうなと思う。どうしても告げたくない言葉は胸にしまい、ほぼ同じ年の彼/彼女にお疲れさまでしたと念じた。

さよならの代わりに

昨年の暮れごろから思い出したように撮影し、ここ1月ほどはほぼ毎日のように追いかけていた。オレンジの車体に乗りこんで、少し堅めのシートと少し音の大きな空調に身を預けるうちに記憶の靄が取り払われるのを感じた。それはさながらタイムマシンのような。過去の自分に会いに行くかのような日々だった。遠い昔、最初に東京に住んでいた幼い頃はまんまオレンジ電車と呼んでいたっけね。ちなみに西武線はバナナ電車で湘南カラー*1はにんじん電車と呼んでいた。中々いいセンスじゃないか。
巡り巡って再び東京に戻り国立で暮らすようになってからは、その懐かしいオレンジ電車が毎日の足になった。国分寺で乗り換え西武線。中野で乗り換え東西線。新宿へ東京へ一直線。回れ右して立川へ。さらに足を伸ばして青梅奥多摩。色んな場所に連れて行ってもらったもんだな。今この瞬間呼吸している空気のように、朝になれば昇ってくる太陽のように自然な存在だった。なにがしかの事故で停まるのも同様に自然だったのは…愛嬌ってことにしとこうか。武蔵五日市近辺で事故が起きた時に暗い車内で一人ボーっと待ちぼうけたのも今となっては良い思い出だ。
学生生活が終わり、中央線から離れて暫くした頃に後継のE233系が登場した。乗り心地の良さに感心しつつも、オレンジ色の201系を見ると妙に安心できた。その頻度が気づけば減って行き…こんなにあっという間に無くなってしまうとは、ね。写真を撮り始めるのがもっと早ければもう少し色んな姿を残せたかな…と今さらと分かっていながらも思ってしまう。この1月ほど撮り続ける中で、後悔というパズルを完成させるためのピースを拾い集めてるだけなんじゃないかと落ち込むこともあったけど、それでも確かな手ごたえを得られる瞬間もあった。こうして過去に思いをはせた時、そこに登場するのが画一的なステンレスではなくオレンジ電車というのは幸運だったんだろうね。おかげでラッシュにかちあう通学だって苦にはならなかったもの。
いろんな思いが胸を去来するけど、今はただ一言。
さよならの代わりに、ありがとうを。

*1:上下緑帯で真中がオレンジ色のやつ